ムビラに出会う旅 その1(世界一周を目指して)

以前、「アフリカモード」という自費出版本に自分がどのようにムビラに出会い、惹かれていったのかを書いて寄稿しました。広くブログの読者にも読んでいただきたいので、加筆訂正して今後不定期連載していきます。

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2000年10月の秋晴れの日、一人で世界一周の旅に出発する為、大阪から上海に向かう船「鑑真号」に乗り込んだ。いつ日本に帰るかはもちろん決めない。 親には適当に「1、2年で帰るよ」と答えておいた。27歳、仕事も辞めて、これまで築いてきた全ての人間関係に一度別れを告げる。大げさに思われるかもし れないが、皆に二度と会えなくても仕方ない位の覚悟が出発には必要だった。

出発の数ヶ月前、親に旅の決意を伝えると「日本の生活は安全で快適なのに、なんであえて大変な所へ行くのか?」と理解できないようだった。反対とは言わな いが、賛成しているわけでないようだ。友人や恋人にも「寂しいじゃないか」と引き止められた。後ろ髪を引かれるような思いだったが、「やったことを後悔し たほうが、やらなかったことを後悔するよりましだぜ」というレッドホットチリペッパーズの曲のフレーズを何度も思い出しては、自分にその通りだと言い聞か せ、ゆらぐ気持ちを奮い立たせた。

 親が言うように日本の暮らしは安全で便利で快適だが、どこか嘘っぽいところがあるのが気に入らなかった。先進国の金太郎飴のようなライフスタイルではな く、途上国と見下されているアジアやアフリカの人々が文明の利器に頼ることなく力強く生きる姿に触れたい。楽しいことと悲しいこと、聖なるものと俗なも の、それら一切合財の生々しいありのままの暮らしが見てみたかった。ツアー的な観光ではなく深く現地の人々と交わるなら体力がある若いときに限るだろう。 それが出来れば一生にたった一度、今しか出来ない経験になる。旅に行かず、そのまま日本で快適に働き、たまに美味しいものを食べたり、洋服買ったり、その うち結婚して、子供が出来てという定番の幸せ人生ストーリーを犠牲しても価値のあるものに違いないと当時は思った。

ただ、27歳にもなって期限の無い旅に出たからには、帰ってきて「面白かったよ」で終わる遊びの旅にはしないと密かに決心した。その後の人生を変えるよう な何かを掴むのだ。それはどこかの伝統的な技術なのか、あるいはオルタナティブなライフスタイルなのかはまだ分からないが、自分にとっての真実を見つける までは旅を続けよう。

いわゆるバックパッカーの旅である。この旅スタイルが流行ったきっかけとしてテレビ番組「電波少年」の猿岩石が大きな影響を与えたことは間違えないだろ う。お笑いの二人がアジアを無銭で横断するという企画だった。番組を見て面白いと思ったときもあったが、彼らが現地語を学ぼうとしない姿勢や現地の人々へ の尊敬を感じられない言動には腹が立った。また海外に行ったことがあればすぐに分かるようなヤラセ、出来すぎたシナリオに”しこみ”を感じていた。そんな 部分に「本当の旅はあんなもんじゃないだろう」と憤っていたから、自分も逆の意味で影響を受けたと言える。テレビは世界中の様子を編集して面白いところだ け映し出す。それを見て、僕らは世界を分かったような気分になるがそれは錯覚だ。自分の目で見なければ本当のことは決して分からない、ということを自ら証 明したかった。

船が大阪を離れていくにつれて、全ての知り合いと別れる悲しみが薄れていくと同時に、開放的な気持ちが自然と込み上げてきた。全ての束縛から解放される自 由。きっとホームレスの人たちやインドの修行僧も同じ感覚を味わっているに違いない。どこに行ってもいい、何をやってもいい、全て自分で決められるという のは何て楽しいことなんだろう。これまでの経歴や肩書きは全く関係なく、裸一貫のスタートだ。心の中で「俺は自由だー!!」と何度も叫び、力が沸いてき た。

まずはアジアを横断すべく、中国を西へ、チベットからヒマラヤ山脈を越えてネパール、インドへ向かうことを事前に決めた。海外旅行慣れはしていた が、一人旅は初めてだったので、ガイドブック「地球の歩き方」を「中国編」「チベット編(モチベーションを高めるために昔買ってあった)」「ネパール編、 インド編(両方とも以前行ったので持っていた)」と4冊も持っていった。これだけでかなりの重量。世界を旅する人たちはガイドブックはどうしているのかと ても不思議だったし、インドの後はどうやって旅すればいいのか不安だった。しかし、そのうち旅で出会う人たちとガイドブックを交換したり、コピーさせても らうという技を覚えたので、心配は無くなった。僕も持っていたガイドブックは全部旅の途中で交換するか、あげたりして手元を離れていった。

アジアの旅では、闇バスでのチベット入国とエベレストベースキャンプ訪問、ネパールのヒマラヤトレッキング、インドの奇祭クンブメーラ、パキスタンのトラ イバルエリア潜入、などなど素晴らしい体験の連続だったが、詳細を書くといつまでもジンバブエでのムビラの出会いにいけないので、残念ながらまたの機会 に、ということで大幅に省略。

 インドから、さらに西へパキスタン、イラン、トルコ。ギリシャまで行きトルコに戻って中東を南へ下る。シリア、ヨルダン、イスラエルの聖地エルサレムを 訪れて、紅海を渡り、エジプトへ。世界のダイバー憧れの紅海で、色とりどりの魚を眺めながらダイビングの免許を取得し、カイロへ。

 カイロはうだるように暑く、ダラダラしそうになったが、いわゆる沈没(旅用語で一箇所に目的もなく長期滞在すること)は退廃的に見えて嫌だった。動物園 でライオンの赤ちゃんを抱かせてもらったり、ダイビングで滞在したダハブで仲良くなったイエメン人の友達と遊んだりと楽しいこともあったが、1ヶ月で重い 腰を動かしカイロを夜行列車で出発。南アフリカ・ケープタウンを目指すアフリカ縦断の旅を開始する。

 ナイル川を船で遡り、アブシンベル神殿を遠くに眺めながらスーダンへ。南へ、南へとバスを乗り継ぎ、エチオピアでは北部の独特なエチオピア正教の文化、 そして南部ではバスを乗り継ぎ奥地に行き、少数部族たちの文化に触れた。ケニアではサファリで大平原に生きるライオンや象、キリンたちの姿に感動。タンザ ニアではアフリカ最高峰キリマンジャロ登頂、ザンジバル島の透き通るような海でイルカと泳いだり、久々の美味しい魚介に舌鼓を打ち、美しい夕焼け、目の前 の海に落ちた緑色の流れ星や満天の星空の下で夜の海に乱舞する夜光虫など美しい自然を堪能。その後タンザニアから野生動物が見られる2泊3日の鉄道の旅で ザンビアへ。そして世界三大瀑布の一つ、川幅1.7km落差110mのビクトリアの滝をまたいでジンバブエ入国。

 日本からジンバブエまで約1年。一度も飛行機に乗らずに陸路か海路だけで移動してきたので、地球の大きさが体感できた。国籍も、肌の色も、文化も、食べ るものも、トイレのやり方も違う沢山の人々と出会い、そして別れてきた。困ったときには必ず助けてくれる人がいた。泥棒、詐欺師にも出会ったけれど も・・・。

 勇気を出して旅に出てきて良かったと思える最高の瞬間を何度も何度も味わった。それは例えばチベットのエベレストベースキャンプ(標高5200m)へト レッキングしたとき、静寂の中、野生の鹿の群れに出会った瞬間。もちろんキリマンジャロの頂上から下界を見下ろしたときも、まさにトップオブアフリカにい る最高の気分だった。
 何気ない時や困難な状況にも関わらず訪れる高揚感もあった。大金を盗まれて、旅費を削るためヒッチハイクを決意したはいいものの、乗り継ぎがうまくいか ず途方にくれたトルコの片田舎の十字路だったり、スーダンからエチオピアに向かうジャングルの悪路で、トラックの荷台に揺られながら、同乗の女たちが美し いハーモニーで歌っているときだったり。そんなとき、なぜか泣きたくなるほど喜びの感情がこみ上げてきた。自分が今、生きていることに感動し、旅を続けられることに感謝した。これこそ旅の醍醐味だ。

<その2(ムビラに出会う)に続く>