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「ジンバブエの旅と現地ムビラレッスン」 よーこさんインタビュー

ジャカナカムビラサークルに参加しているよーこさんが、昨年ジンバブエを訪問してきました。彼女に快諾いただき、滞在体験をインタビューしたので掲載 します。初めてのジンバブエ滞在でトラブルは無かったか、経済崩壊の報道が去年は多かったけど実際はどうだったのか、また、ルケン・パシパミレ氏からも直 接習う機会を持てたのでその感想も聞いてみました。

 よーこさんの体験は笑いあり、トラブルあり、そしてそれを忘れがたい思い出に昇華させる素敵な出会いあり、とまさに旅の醍醐味がてんこ盛りです。これを読んでいたら、僕も今すぐジンバブエに行きたくなりました。それではお楽みください。

Q:今回の旅の行程を教えて下さい。

A:世界一周航空券を使い、日本から南米へ ペルー→ボリビア→チリ→アルゼンチン→ブラジル。ブラジルから 南アフリカへ飛んでジンバブエへ。その後アジアのネパール→タイ→ラオス→ベトナムをまわり帰国。合計10ヵ国です。

Q:10カ国廻った中で、印象に残った国、体験は何ですか?

A:ペルー・・・ナイフ強盗にあいました!スペイン語しか通じない警察に全部絵に描いての説明は大変でしたが、今その時の絵を見ると笑えます。

ボリビア・・・南米で行った中で一番イメージのなかった国が、行ったらなんだかすごく良かった!

ジンバブエ・・・唯一目的のあった国。この旅で一番悩んだ国(お金関係)。ムビラを習えたことは本当に良い体験でした。

 他にも思い出すときりがないですが、わたしは自然が好きなのでアンデスの山々、ブラジルのアマゾン、ネパールでヒマラヤトレッキングなど大きすぎる自然にたくさん感動してきました。

Q:ジンバブエはいつごろ、どれくらいの期間滞在されたんですか?

A:2009年10月17日~31日の15日間です。

Q:ジンバブエの国、町、人の印象はどうでしたか?

A:経済の崩壊、インフレをリアルに体感してきました。ハラレの街はビルもたくさん建つ都会ですが よく見ると道路は穴だらけ、食料品以外のお店はほとん どシャッターがおろされ閑散としています。そんな街中をジンバブエの人たちはなにごともないように歩き、生活しています。そんなちぐはぐな光景に最初は怖 さと不安でいっぱいでした。
 どこのお店のレジにもお金がはいっていないので、100ドル札持っていてもジュース1本買えないんです。つり銭が無いのです。1ドル札命!
 「なんて生活しづらい国なんだろう・・・」モノを買うたびに思うことでした。

 そんな悩まされる毎日の中でジンバブエの人たちの陽気で暖かい性格に救われました。道を聞けば 誰もが丁寧に教えてくれ、目的地まで送ってくれる人もい ました。初めてのアフリカにかなりビビっていた私ですが、優しい笑顔に会う度にジンバブエの良さをどんどん発見し、すぐに怖い気持ちも消えていきました。 厳しい現実に耐え 強くに生きている人々と、紫色のジャカランダが満開に咲く街は本当にキレイで魅力的でした。 


  
Q:ジンバブエでは何を食べていたんですか?

A:ジンバブエの主食であるサザを良く食べていました。サザはトウモロコシ粉を練ったもので肉や魚、野菜などと一緒に食べます。シンプルな料理ですがとってもおいしい!食堂では1ドルでおなかいっぱい食べられます。
 
Q: 今回ルケン・パシパミレ氏から直接ムビラを習うことができた訳ですが、ルケン氏の家への行き方も分からなかったでしょう。簡単にたどり着けましたか?

A:会う約束をしなければ、と公衆電話を探しますがどこも壊れています。電話屋さん巡りでまず一苦労。なんとかアポはとれパシパミレさんにお宅の場所を教えてもらいました。 
 『コンビ(中古のハイエース等を改造した乗り合いバス)で○○で降りて、そこから歩いて2分だよ』と言われてみたものの、
 「うーんどっち方向へ 2分だろう・・・・」。とりあえずコンビの車掌
のお兄さんに ここへ行きたい!と聞きまくり最後には、住所周辺をぐるぐると走り回り、一緒に家を探してくれ無事にたどりつくことができました。
 ジンバブエの人たちはとても親切でたくさん助けてもらいました。

Q: ルケン・パシパミレ氏から直接ムビラを習った感想を聞かせて下さい。

A:わたしはあまり英語が話せないので、パシパミレさんと多くのことを話せたわけではありませんでしたが、ムビラを通してお互いの人柄を知ったり、気持ちを合わせたりと コミュニケーションがとれたように思います。
 パシパミレさんに教えてもらう時は見よう見まねで覚えていくのですが、覚 えるまで同じフレーズを何度も弾いてもらいながらあれっ、さっきと弾いている音が違う・・・と焦る場面が多々ありました(笑)。

 でもジンバブエの人にとっては、楽譜のないムビラの曲にプレイヤーたちそれぞれがその時の感覚でポロポロと素敵な音を表現している。ムビラに間違えの音 はないいんだなぁと音の間違いばかりを気にしてリズムやまわりの音を意識できていなかった以前よりも、力を抜いて弾けるようになりました。
 リズムはベリーベリーインポータント!と一緒に足を踏み鳴らしての練習、リズムを取ることと英語が苦手な私は 分からなくなると「うあ~!」とオーバー アクション。笑い合ってもう一度。とても和やかで充実したレッスン。今でも、パシパミレさんに習った曲を弾く度にその時の感覚が鮮明に思い出され、それは この先もずーっと忘れないと思います。 

Q:ジンバブエでは世界遺産であるビクトリアの滝も行かれたそうですが、どうでしたか?

A:行った時期はちょうど乾期だったので水量は少なかったのですがそれでも迫力ありました。あまり整備されていないので 崖ギリギリまで行って滝つぼを覗き込んだりと大瀑布をすごく近くで体感することができました。

 またビクトリアの滝周辺は動物がたくさんいます。ザンベジ川でカバの親子が鳴いていたり、歩いていたら 行く手を塞ぐ大きな黒い物体。バッファローが道に普通にいてビックリ!!でも宿に帰る道はここだけ・・・・
 しばらく待ってもまったく動く気配がなく途方にくれていたところにたまたま通りがかった消防車をヒッチハイク成功! 「助かった~」
 ビクトリアの滝には アフリカらしい風景がたくさんありました。

Q:ジンバブエ滞在中困ったことは何でしょう?

A:バス内の人口密度の濃さとエンドレスエンストですね。乗り合いバスは人がくの字になって重なり合いギュウギュウ詰め。長距離バスも容赦ありません、背もたれから離れたら一生背中をつけられません。
 ビクトリアの滝からハラレへ戻るために乗っていたバスでは、私の足の上に知らない男の子が座らされました。そしてエンスト、検問などでまったく進まず6 時間の予定が16時間もかかりました。沈んでいく太陽に 夜のハラレの街に降ろされる自分を想像し泣きそうでした。怖すぎる。真っ暗で強盗がうろつくハラ レの夜を堂々と歩ける自信はまったくありません。予想通りポンと降ろされた薄暗い道にタクシーの姿はなく・・・
 十数年振りに 本気ダッシュしました。たむろしているお兄さんたちから浴びせられる言葉を声援に置きかえ宿まで約15分、完走しました。無事に着いてヨカッター、筋肉痛イタカッター。       

そしてジンバブエといったらやっぱりお金!悩まされました。この国で手持ち現金以外のお金を入手することは不可能ということを、入国してから知った私には 節約してギリギリ足りるか足りないかくらいの金額しか手持ちがありませんでした。金融機関は機能していません。毎日切り詰めた生活・・・ お水すら買うこ とをためらいジンバブエで水道水デビュー。

 そして事件は起きました。
 出国を3日前にしてお財布すられました。この国で現金をなくすということは・・・・絶望。
 とそんな時、日本人に出会ったんです。しかもこのタイミングで~。奇跡的な出会いに救われました。結局ジンバブエで唯一出会った日本人旅行者でした。その人がいなかったら・・・おそるべしジンバブエ。
 
Q:ジンバブエ滞在中楽しかったことは何ですか?

A:旅行での楽しみのひとつはいろいろな人と出会えるところです。 ジンバブエでも素敵な出会いがたくさんありました。
 15キーのムビラを障害のある子どもたちに教えているジンバブエ人と友達になる機会があり、彼は手作りのムビラを私にくれて、弾き方も教えてくれまし た。私の持っているムビラとは 形も音も違いますが、2人で合わせた時のキレイな音は一緒で、とても楽しく新鮮な合奏ができました。
 そのほかにも歌を教えてもらったり一緒にサザを作って食べたりと、地元の人の生活に近づいた体験や、種類の違うムビラに触れ合うことができたりと面白い経験ができました。 

 

Q:ジンバブエに滞在して日本に帰国してからご自身の感じ方、ムビラに対する思いなど変化した部分はありますか?

A:ムビラを弾くときに自然と体が動くようになりました。それが1番の変化でうれしいことでした。ジンバブエでの経験は私の体にちゃんと残っています。 ジンバブエへ行ってもっとムビラが好きになりました。ムビラを通じて ジンバブエという国を深く知り、また行きたいと思いました。
 ジンバブエへ行こうと決めてから 私の先生であるマサさんにはいろいろなアドバイスを頂き、こうして素敵な経験をすることができました。 心強い先生がいます!皆さんも是非一度ジンバブエへ~!

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