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本邦初登場?!芋虫シチューを食べ逃すな!

5月に僕らパシチガレ・ムビラズのメンバー「スミ」がジンバブエに修行しに行くと聞いて、名物店長ファンタさんが「芋虫を買ってきて!」とお土産のリクエストした。  ジンバブエでは、ある種の乾燥芋虫が「マドラ」という名前で普通に食品として流通している。ジンバブエで一番大きなムバレ市場に行けば、山盛りになった 黒いマドラを見ることができるし、スーパーマーケットにもパッケージに入って売られている。OKスーパーの惣菜コーナーにもトマト味のマドラシチューが陳 列されていて、食べたことがある。味はともかく、見た目が食欲を激しくそそらないので、僕に関係の無い食品だと結論して、それ以来見て見ぬふりをしてい た。  しかし、6月にスミがジンバブエから「マドラ」と共に戻ってきた。トンデとお客さんで来ていたジンバブエ人女性によると美味しい調理方法は、乾燥したマドラを水で戻して、塩味で炒めるか、あるいは揚げてトマト味の…

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信長に仕えた黒人「彌介」と秀吉が楽しんだアフリカンダンス

日本とアフリカの初めての出会いについて興味深い逸話が「アフリカ発見」藤田みどり著に収められています。なんと日本で最初にアフリカ人に会ったのは織田信長で、アフリカンダンスを最初に楽しんだのは豊臣秀吉だったようです。 16世紀にヨーロッパの世界侵略の幕開けとなった大航海時代。日本に最初に来た黒人は、船員や下僕としてポルトガル船に買われたか、雇われたかして、日本 までやってきた者たちでした。種子島に漂流したポルトガル船が鉄砲を伝えたのが1543年。もしかしたらこの船の中に、あるいはそれ以前にやってきた交易 船に黒人が乗っていた可能性もありますが、記録には残っていません。最初の記録となるポルトガル船長が残した手紙によれば、1546年に日本に初めてやっ てきたポルトガル船には黒人も乗っており、日本人が異常なほどの興味を示したそうです。狩野内膳が描いた「南蛮屏風」に もその姿を見ることができます。この…

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アフリカンフェスタ2010パシチガレ・ムビラズ デビュー!

2010年6月12日土曜日、パシチガレ・ムビラズは横浜の赤レンガ倉庫で行われた外務省主催イベント「アフリカンフェスタ2010」に出演。  当日は雲一つ無い最高の青空に恵まれて、アフリカを彷彿とさせるようなビールの美味しい真夏日となりました。横浜港の海を目の前にしたサブステージの トップバッターで登場。ムビラミュージックを愛する仲間と、初めて聴く人たちを巻き込んで、手拍子、ダンスで一つとなり盛り上がりました。ジンバブエ大使 及び大使館のスタッフも見に来てくれました。途中から南アフリカのTシャツに南アフリカバンダナを巻いた白髪のおじさんがステージ前にて全身を動かす熱い ダンスを披露、僕らもアゲられました。南ア好きな僕としては、おじさんがどうしてそんなに南ア・ラブなのか尋ねたかったなあ。一緒に楽しんだ皆さん、本当 にありがとう! 演奏終了後は、ジンバブエ大使館前にてムビラのデモ演奏。初めてムビラ…

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希望の国、南ア開催のサッカーW杯は成功するか?

今日から始まったサッカー・ワールドカップ(以下W杯)に注目している。別にサッカーが大好きな訳じゃなくて、治安の悪い南アフリカ共和国で無事に開催できるのだろうかと。もちろん、成功して欲しいんだけど・・・。 悪口は言いたくないけど、過去に旅したアジア、アフリカ二十数カ国の中で南アが一番危険を感じた国だった。特にジョバグ(経済の中心地ヨハネスブルグの通 称)の治安は極悪だ。世界三大犯罪都市との異名もあるとか。街の中心部にも関わらず、昼間にも関わらず、黒人以外は歩くことが許されない。アメリカと同じ で銃が蔓延しているため、誰かが襲われても誰も助けてくれない。日本人旅行者が一人で中心部を散歩して、1時間以内に強盗に会う確率は、限りなく透明に近 いブルー(古い!)、ではなくて100%に近い。僕も不用意に歩いてやられそうになりましたからね。まるで漫画「北斗の拳」をほうふつさせる弱肉強食の世 界がここにあ…

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ルケン・パシパミレ ラストステージ映像集

ルケン・クワリ・パシパミレ氏はジンバブエの著名なムビラ奏者。 ちょうど一年前、初来日して日本全国をツアーしました。 この映像はものすごい盛り上がりをみせた2009/4/29のムビラサミットVol.4での演奏。 残念なことに、彼は2010年3月22日、突然スピリットの世界へと旅立ってしまい、結果として彼の最後のステージになってしまいました。 ルケン氏のメッセージを聞いて、演奏を楽しんで下さい。

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ルケン・パシパミレ氏追悼

また一つ、偉大なムビラの伝統の火が消えた・・・。 3月22日春分の日で祝日の夕方、ジンバブエからムビラ職人のアドマイアが僕に電話をかけてきた。いつものムビラの注文についての電話かと思ったら、 「ルケン・パシパミレが今朝亡くなったぞ。」と興奮した声が受話器から聞こえる。今ルケンの家に来ているというので、とりあえず奥さんのバイオレットに代 わってもらう。彼女も動転しており、「私も信じられない」「棺桶を買う金もない」と嘆いている。僕もあまりに突然のことで、気持ちの整理がつかず上手なお 悔やみの言葉もうまく伝えられないまま「何とかするから」と伝えて電話を切った。 彼は去年から目の痛みを訴えており、一時は手術をすることも検討していたようだが、結局薬だけで対処することになった。その後もたまにメールや電話でやりとりをしていたが、命に関わるような事態だとは一度も言っていなかった。 現地に滞在中であったムビ…

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ムビラと「ナチュラル・ハイ」の関係

「ナチュラル・ハイ」という「ハイになること」をテーマにした上野圭一氏の著作を紹介します。アメリカで代替医療を推進する医師アンドリュー・ワイル氏の 翻訳で有名な上野氏は鍼灸師。この本には50種類の様々なハイになる方法が説明してありますが、ここまで読んで何かヤバイ本に違いないと思ってしまった貴 方には、特に読んでもらいたい一冊です。 上野氏曰く、ハイになるというと「ドラッグ」によるハイに関連付ける人が多いが、ハイは皆が日常 的にも体験しているもの。現代医学が長い間「精神の異常な状態」として片付けてきたハイは1960年代後半以降カウンターカルチャーの隆盛や、アンド リュー・ワイル医師の著作などにより、本来の地位を取り戻しつつあります。それは人間のハイになろうとする衝動は正常であるということ。現代的生活ではそ の衝動が抑圧されているか、ビジネス化されすぎているのです。 社会に公認されて、多くの”消…

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「ジンバブエの旅と現地ムビラレッスン」 よーこさんインタビュー

ジャカナカムビラサークルに参加しているよーこさんが、昨年ジンバブエを訪問してきました。彼女に快諾いただき、滞在体験をインタビューしたので掲載 します。初めてのジンバブエ滞在でトラブルは無かったか、経済崩壊の報道が去年は多かったけど実際はどうだったのか、また、ルケン・パシパミレ氏からも直 接習う機会を持てたのでその感想も聞いてみました。  よーこさんの体験は笑いあり、トラブルあり、そしてそれを忘れがたい思い出に昇華させる素敵な出会いあり、とまさに旅の醍醐味がてんこ盛りです。これを読んでいたら、僕も今すぐジンバブエに行きたくなりました。それではお楽みください。 Q:今回の旅の行程を教えて下さい。 A:世界一周航空券を使い、日本から南米へ ペルー→ボリビア→チリ→アルゼンチン→ブラジル。ブラジルから 南アフリカへ飛んでジンバブエへ。その後アジアのネパール→タイ→ラオス→ベトナムをまわり帰国。合計…

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世界から無視される100年前の大虐殺と戦後最大の犠牲者を出す戦争

バ レンタインデーが近付いてきましたね。僕も子供の頃は日本のチョコレートメーカーの宣伝にまんまと乗せられて、「誰かからチョコもらえるかな」と淡い期待 に心揺れ動いたものです。しかし、そんなイノセントな子供心とは裏腹に、チョコの原料カカオは主にガーナなど西アフリカなどの農園で子供たちを含んだ労働 者が過酷な条件下で働いて生産されているという問題が指摘されています。カカオの実は安価で買い叩かれ、砂糖を混ぜて先進国住民の口を潤すチョコに変身し ます。甘いチョコをめぐるグローバル社会のほろ苦い現実。最近ではそのシステムを変えようと、フェアトレード商品のチョコレートを購買しようという運動も 起きています。スイスチョコレートの一社は自社の原料調達システムを改めるという発表をしたそうです。  このチョコの例に限らず、 知ってしまうと居心地が悪くなるから無関心なふりをする事実というものが世の中にはあります…

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モンドロでの伝統ムビラ演奏風景

 2008年1月、ムビラの名人ルケン ・パシパミレ氏、ハクウォティ・ムデの息子たちが演奏者として招かれた儀式がハラレから南に数時間行ったモンドロにて行われました。モンドロはジンバブエの中でもムビラの伝統が残る地域で、ルケン氏の故郷でもあります。  ルケン宅を車で出発したのが既に夕暮れ時。ムデの息子たちをピックアップして僕らはバンの荷台にぎゅうぎゅうに押し込まれて移動。既に車内ではムデの息子たちがムビラ演奏を開始。僕らもコーラス、手拍子で参加して盛り上がります。  現地に到着しましたが、真っ暗闇でどこに来たのかまるで検討も付かない状態。子供たちに迎えられ、まずは夕食を振舞われました。腹ごしらえしたところで、円形の小屋に入り儀式の開始。直径6メートルほどしかない狭い空間に何十人も入り、歌って踊って一晩中楽しみました。 儀式の様子は撮影が許されなかったのですが、終了後翌朝に屋外で デモ演奏してく…

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